いい子のみなさんへ

悪い子めざして生きてこう

身の上話と身の上話の先の話

19歳の頃の私は、まともに笑うことも人に会うこともできなくなっていたので、毎日携帯電話にだけ話しかけながらなんとかやり過ごしていた。すこしでも現実に目を向ければ、病人である以前に周りと同じ「19歳」「学生」であることに向き合わなくてはいけないことが辛かった。そのステータスを名乗れるような生活を送れていなかったからだ。
笑うことも人に会うこともできなくなった年の夏、内定を貰って就活を終えた19歳の私は35kgだった。面接指導の先生に「細すぎて頼りなく見える」などと言われた後ろめたさもあり、入学式の時に買ったスーツはあまりにもぶかぶかになっていたので痩せていることが有利であり私服で面接が受けられるアパレル業界ばかり受けていた。ふらふらの状態でなんとか手に入れた内定だった。
私は、子供の頃から常に平均より少しだけ優っていないと安心できない性格だった。成績も常に中の上に居られるようにと自分の偏差値より少し低い偏差値の学校に入る程度には、安心感というクッションがないと自信や自尊心がすぐにボロボロに崩れてしまっていた。そのクッションを失くすことが自分の中で最も怖い事だったので、物心ついた頃からそれを守るためだけに優れた人間であろうと努力を怠らない生活を送っていた。今となっては努力の原動力は常に向上心ではなく焦燥感だったように思う。
高3の頃、あるきっかけで家庭環境が不和になった。その時期に安心のクッションが無くなったことが拒食に足を踏み入れるきっかけだったのだと思うが、自尊心を築くためには外見に自信を付けるのが一番手っ取り早いだろうといういかにもありがちな理由で痩せようと思い、ダイエットを始めた。
過剰なコンプレックスと自信の無さを除けば人生で容姿を理由にいじめられたこともなかったし虐待を受けたこともなかったし、部活も遊びも楽しめていて、私は精神病とは無縁の心身健康な普通の女子高生だった。そのため人生初のダイエットを始めてするする体重が落ちてからは自信がついていくスピードもべらぼうに早かった。10キロ痩せると周りに可愛くなったと褒められ、今まで話すこともなかった学年の目立つ男の子たちと仲良く話せるようになり、ずっとコンプレックスだった地味なキャラを塗り替えられたような気がして気持ちが浮かれた。浮かれることで性格も活発になり行動力も増して、学年で人気者の彼氏ができたことも嬉しくて気持ちは最高にハイになった。けれどそんな自信は体重が減れば減るほど脅迫観念に姿を変えていって、気がついたときには、低体重を更新し続けることでしか自尊心を保てない人間になっていた。毎日面白いくらい落ちていた体重の減りが停滞したタイミングが分岐点だったのだと思う。
毎日焦りと恐怖で朝晩ランニングをして、お弁当は体調が悪いと嘘をついて毎日残してお母さんにバレないように捨て、家にいればトイレに行くたびに体重計に乗った。
高校を卒業する頃には、学校に行けば痩せすぎだと友達や先生に心配されることが後ろめたくなり、家に帰れば痩せすぎだとお母さんから怒られることが億劫になり、中学の頃からやっていた大好きなドラムも高3の予餞会のトリで叩いた時には楽しむどころではなく叩き切るだけで精一杯、ライブに年中出ていた頃の筋力は完全に落ちていた。なりたい職業を志す気力も失せて、受験が怖いので適当に内申点で入れそうな指定校を選び、あんなに大好きだったバンド活動にも気持ちは鎮火しきり、痩せた身体と数字だけが心の拠り所になった。
18歳の4月からは、チャリ通の高校生活から一変して毎朝渋谷まで通学するようになった。入学したばかりの頃は人見知りしない性格のおかげか友達がたくさんできた。進学したらしたでやはりバンドへの想いは捨てきれず、友達を誘って学内で一番盛んな軽音サークルの新歓に行った。けれど結局ドラムを叩く体力を戻す勇気はなく、昔のように好きなだけ叩けなくなった自分と向き合うのが怖くて入るのを諦めた。地元で組んでいたバンドも全て一気に抜け、唯一の特技だった音楽を完全にやめた。私に誘われてなんとなく新歓についてきてくれた友達はそのままサークルに入り、毎日ギターを背負って楽しそうに活動していた。
趣味も特技も無くなった私に残っていた唯一の自分らしさは、やはり痩せていることだった。渋谷にいると細い女の子は可愛いねと褒めてもらえた。都会では細い女の子は正義だ。カロリー不足でふらふらで歩いていても、細くてどんな服も似合う女の子はなんだか好かれる。18の私はお母さんの目が怖いから家に帰りたくないという理由でバイトのシフトを入れまくり、その給料は欲しい靴と欲しい服と好きな人とのご飯代、そしてそのご飯をチャラにするための下剤代に全て費やした。バイトがない日はいつも買い物をして帰った。だんだん授業に出る気も失せてきたのでサボって朝から古着屋をまわったりもした。人と服を見るには食事もしなくてはいけないし笑わなくてはいけないのが面倒だったので買い物はいつも1人でしていた。地元に彼氏が居たけれどなぜその人と付き合っているのかはある意味明確で、自分を好きだと言ってくれるし小さい頃の自分を匂わせるような地味な人じゃないから、という理由だった。ちなみに、その彼とはレゲエ祭に一緒に行ったが当時も今もレゲエには1ミクロも興味はない。レゲエ祭中に一緒に食べた屋台の食べ物のカロリーと脂質にだけは興味津々だったけれど。

1年生の終わり頃には自分がダイエット依存症だということは自覚していて、痩せることを辞めたくて仕方がなかった。これは人によるのだろうけれど、自分の部屋の鏡で自分の姿を見るたびにあまりにも太っていて醜く見えるのに外に出てビルのガラスに映った自分とふと目が合うと痩せこけすぎている体型にギョッとするという事が何度もあった。何もかも狂った感覚の生活を送っていたけれど自分が明らかに正気でなくなってきているという意識だけはしっかりあった。
恐怖を抱えきれずに、友達に隠れて学生相談室のカウンセラーの元に通うようになった。その頃は痩せることが怖いのに痩せることをやめられないなんて事は誰にも話せず、Twitterもやっていなかったため相談室の先生が私の心の拠り所の全てだった。その時にはもう、体重は唯一の拠り所どころか何よりも重い荷物で、何よりも大事な荷物だった。
就活とバイトと体重管理を一気にし始めたあたりから、電車で音楽を聴いて窓の外を眺めていると突然涙が出てくるようになった。夜中のバイト帰りに自転車を漕ぎながら、日中に買い物をしようと人混みを歩きながら、何も考えていないはずなのに突然涙が溢れてしゃがみこむ時が増えていった。
きっとあの頃が一番、心も身体も痩せきって限界の頃だったのだと思う、内定の電話をもらって誰よりも先に親に連絡を入れて返信されたメールの「ひとまず安心 引き続き頑張ってください」という一言を読んで、ああ何もかも終わったな、という気持ちになった。頑張る余力はとっくに尽き切っていた。ある意味、もう元気な私を生き残らせるのは諦めようと、肩の荷が全ておりたような気もした。
就活が終わって少し経った頃の学校帰り、一瞬だけ気が緩んでコンビニの菓子パンをひとつ食べてしまった。そうすると、リミッターが突然外れたように、コンビニの前を通るたびに菓子パンを買って食べ歩きながらセンター街に入った。普段なら絶対に食べるはずのないマックのセットを詰めて、普段なら絶対に食べるはずのないサイゼリヤのドリアやピザの炭水化物をとにかく頼んで、その日は日中から夜まで目に入ったものをとにかく全て食べながら、小銭が無くなるまでセンター街を回り続けていたのをよく覚えている。
帰りの電車で吐き気に耐えきれずに慌てて途中下車して、バレるとわかっているのに駅内のトイレで必死に喉に指を突っ込んでお腹を全力で押しながら泣いた。学校はとっくに終わっている時間だったのに相談室の先生に何度も連絡をして何通もメールを送った。多分、あの時が初めて人に死にたいと言った時だったと思う。
バレるとわかっているのに、トイレの中で死ぬほど声を出して高3からの2年分を一気に泣いたような日だった。後日、先生を通して校医まで話がいき、私は学内で摂食障害と診断されて電話で親に全てを話してもらった。家に帰ると親は私に怒りも慰めもしなかった。ただお母さんは一言だけおかえりと言って、私は久し振りに人前で大泣きしたのを覚えている。
それからは学校を休み、バイトを辞め、もちろん内定は取り消しになった。友達も自分から遠ざけるようになり、学校に行かなくてはと駅に行くと人の視線が怖くて涙が止まらなくなり、電車に乗れなくなった。今じゃ考えられないほど、思い出すのも難しいほど笑うことが一切できなくなった暗い人間になっていたと思う。

 


私は12月に23歳になる。
19歳で引きこもり始めたあの頃、本気で20歳になる前に死のうと思っていた。50kgに戻るくらいなら死のうと思っていた。

だけど22歳がもうすぐ終わる今、なんだかんだ社会復帰しかけたフリーターさえリタイアしてしまい無職のままだけれど、体重は50kgどころか60kg近いけれど、30kgのあの時期よりうんと幸せにいきている。

今もこの先の人生を考えて暗い気持ちになる時は何度もある。きっとこれからも何度も、普通の人よりも人生うまくいかずに落ち込む人生だろう。けれど、口では冗談で死にて〜とは嘆いても本気で死のうとすることは無くなった。というよりも、死にたいと思ったところで死なないので、死にたい気持ちを積もらせることは自分の首を絞めて疲れさせるだけだと学んだ。

私は今、大事な人たちの存在があるから、生きてて良かったと心底思える思い出を増やせている。自分のこの数年は全て人付き合いがあったおかげで繋がれてきた命だとも思っている。

19歳から20歳にかけての1年間は、突然、今から死のうと思い立って、拒食症真っ盛りの時期でも唯一飲みの誘いに乗っていた友達に「今までありがとう」などというお騒がせにもほどがあるメールを送って迷惑をかけたこともあったし、親にも数えきれないほど悲しい思いをさせてきた。というより、悲しい思いにさせられてきたし悲しい思いをさせてきた。それは今でもお互い、お互い様だという気持ちは譲れていない。お互い様だと「認め合えた」のか「譲れていない」のかは何とも断言しにくい。この頃の話題を出さないのは我が家の暗黙のルールだ。

けれどそんな時も、どんな時も、友達は友達でいてくれた。死ぬといえば電話をかけてきてくれて、LINEを削除すればメールをくれた。元気かと聞いてくれて元気じゃないと返せば曲を送ってくれた。自殺しかけて入院すればおみやげにCDを持って何度も面会に来てくれて、生きているのが辛いというと講義をさぼって会いにきてくれた。フェスに行けばおみやげをくれて、何か後ろ向きな話をするとそんなんだから精神病になんだよ、とからかってくれた。私がどんなに気持ちを荒げて、どんなに体型を変えても、人を突き放そうとしても、いちばんだいじな友達たちは変わらず「病気じゃない私」を覚えていてくれた。1人の友達として相手をしてくれた。私だったら、きっと今の自分でもあの頃の私のような人間の相手をするのは絶対に無理だろう。

 

 

多分今、摂食障害の子や精神病の人がこの文を読んでいてくれていると思う。私よりもっと克服して立派に社会人をしている人かもしれないし、摂食障害に足を踏み入れたての状況の学生さんかもしれないし、そして、18歳〜19歳の時の私のように、周りの誰にも話せずに1人きりで一番のストレスの山場に行き詰まっている人かもしれない。

もし仕事も遊びもできずに毎日家にこもるだけの生活、私はもう家族のお荷物で友達も一生できない、そう思っている子が居たら、私のように一度は全て失くしてしまった人間でも生きてて良かったと思えるようになる、と伝えたい。そう言いたくなった人に直接言うのはあまりにもありがた迷惑すぎるので、特定せずにここに書いて誰かに読んでもらおうとしているけれど、摂食障害で引きこもりになっているどこかの誰か1人にでもこのことが伝わったら、と本当に思っている。長々と書いたけれど私は健康だった高校生からの数年間で自分でも笑えるくらい全てを手放してしまったし、生きる場所もずいぶん暗いところまで転落してしまった。

そのコンプレックスはまだ克服できていなくても、私は今生きてて超楽し〜!と思う瞬間も、友達と飲む酒がうめえ!と思う瞬間も体感しながら生きられている。

本当に好きな人との人付き合いには、どんなに思い出すたびに涙が出るほど辛い過去があったとしても、生きてると楽しい事があるなという気持ちにさせてくれるパワーがある。普段は自分のことしか考える余裕がなくても、人付き合いがあると、いつか恩返ししたいなという思いにさせてくれる。辛い時に助けてもらった分、友達が辛い思いをしていたら今度は自分が優しくしたいなという気持ちにさせてくれる。人付き合いは、人のことを想う心の余裕や人間らしさもくれる。

「自分にはもともと友達がいないし」「自分はブスで暗い人間だし」「そんなのは恵まれてる人間の綺麗事だし」と思う人も沢山いると思う。けれど、私は今心から分かり合える友達にTwitter経由で出会ったりもしている。今でも仲良くしてくれる男友達も実はmixiで出会った仲だ。ネット発信で友情が生まれたって当たり前の時代だとも思う。出会いはどこに転がっているかわからないし、少し勇気を出して自分から探しに行くと可能性は無限大に広がっているネット社会だ。ネットは所詮ネットでしかないと捉えるか、大きなコミュニティとして上手に利用するかはその人の心の持ちよう次第だけれど、摂食障害になるような女の子はみんな優しい気持ちを持っている子なんだと私は思っているし、やはり似通った部分を皆持っているとも思っている。だからこそ分かり合える部分も多いと思う。

ネット越しではあれ、19歳の私と同じ影を感じる女の子を沢山見かける。私は「まだまだ若いんだから」という言葉が大嫌いなのでその言葉は絶対に使わないが、声をかけあう仲間を築けるチャンスはこれから先もまだまだある。生きている限り永遠にチャンスがあり続ける時代だとも思っている。その出会いが短い付き合いになるかずっと長い深い付き合いになるかは分からないけれど、何も持っていなくたって見返りを求めてこない人との出会いは、なによりも生きる糧になるということが伝わったら嬉しい。

太ってしまって家の外から出るのが怖かったらメールをくれたら私は喜ぶし、痩せていてお茶しか飲めなかったら一緒にドリンクバーに付き合ってくれたら嬉しいし、摂食なんて関係なしに男の話で腹立たしいことがあるけど女友達がいなかったら呼び出して酒をおごってくれたらめちゃくちゃに喜んでがぶがぶ飲む。

私も誰とでも人間関係を保ち続けられる万能な人間ではないので短い付き合いになるか長い付き合いになるかは分からないけれど、依存される関係にならない限り、相手との人間関係を大事にしながら生きていきたいと思っている。

一度失くしたからこそもう失くすことのないように、今度は自分が誰かに友達がいて良かったと思ってもらえるように生きていきたいと思っている。まあ死にたいって言ってる時も、大体ヘラヘラ生きているのでいつでも声をかけてください。

 

家の中で悩んでいる10代の女の子に少しでも笑える時間が増えますように。自分のように今までの努力の積み重ねを全て失ってしまった人間でも、自分のように根性無しでいつまでもきちんと治せなくても、それでも絶対に笑える日は来るから。

一番の山場に苦しんでいる過食移行期の摂食の学生さんを見るたびにそう思います

 

それでは読んでくれてありがとうございました。今週は過食続きでなかなか5キロ太ってしまいましたが次のデートまでに頑張って落とそうと思っています。思ってるだけかもしれませんが。はは

 

また書くので良かったら読んでね。